川崎出身の芸術家・岡本太郎

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みなさん「芸術は爆発だ!」でお馴染みの岡本太郎をご存知でしょうか?

私が最も尊敬している芸術家です。

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岡本太郎は日本を代表する芸術家で、奇抜とも言える鮮烈な作品の他、多くの格言・名言を残しています。

何ものにも迎合せず、誰にも媚びず、どんなに辛くても「岡本太郎」であることを辞めることなく、貫いて生き抜いた姿は勇敢です。

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そんな岡本太郎、実は川崎出身なんですよ。

正確には、川崎市高津区二子の生まれです。漫画家の岡本一平、歌人で小説家・かの子との間に長男として誕生しています。

父方の祖父は書家の岡本可亭であり、北大路魯山人の師匠だそうです。太郎の父・一平は朝日新聞で"漫画漫文"という独自のスタイルで人気を博していました。

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「宰相の名は知らぬが、一平なら知っている」と言われるほど有名な存在になりますが、付き合いのため収入のほとんどを使ってしまうほどの放蕩ぶりだったそうですよ。

川崎で生活をしているときは、家の電気を止められてしまうこともあったようです…!

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太郎の母・かの子は、大地主の長女として乳母日傘で育ち、若いころから文学に熱中していたそうです。

世間知らずのお嬢さん育ちで、家事や子育てが全く出来ない人物だったと言われています。太郎が3〜4歳の頃、かまって欲しさに創作の邪魔をすると、かの子は兵児帯でタンスにくくりつけたというエピソードが残っているようです!

これにはちょっと驚いてしまいました…。。

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また、かの子の敬慕者で愛人でもある堀切茂雄を、一平公認で自宅に呼んで住まわせていたという話も残っています!

やはり夫婦揃って芸術家なだけあって、暮らしぶりも少しクレイジーなように感じますね。

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川崎で暮らしていた当時の岡本太郎は日々苦労が絶えなかったのではないかと感じます。

「母親としては最低の人だった。」と語っている時期もあったようですが、太郎は生涯、母親を敬愛し続けています。

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この川崎で育った特別な家庭環境からか、太郎は大人に理不尽に抑えつけられることに我慢がならず「世渡り」を一切しない子供になっていったようです。

その姿勢は大人になっても変わらず、太郎が残した数々の名言、格言にも滲み出ています。

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しかし、私はそんな太郎の生き方に憧れています。

最初の小学校は退学、その後も転校を繰り返しています。勉強は大嫌いで、成績も全く振るわなかったそうです。幼少期の頃からこれ程自分らしさを失わずに貫くことができるって、とても素晴らしいことだと思います。

絵を描くことが好きだった点も、幼少期から貫いていることのひとつだったようです。

川崎で生まれ育った岡本太郎の残した作品は、今もなお、日本のみならず世界中の人々に愛され続けています。

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特に、日本では「太陽の塔」を知らないという人はいないのではないでしょうか。

一度目にしたら忘れられない、強い印象をもたらす作品が数多く残されていて、それらは彼が残した名言・格言も、強い意思を感じさせるものがあります。

・・・

岡本太郎は数々の名言を残しています。最近では書籍にもなっているので、何度か目を通したという方も多いのではないでしょうか。

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「法隆寺は焼けてけっこう。」という言葉も残されています。

岡本太郎は媚びない人でした。

さらに、彼は上記の言葉の後に「自分が法隆寺になれば良いのです。」と言い放ちます。しかも、時は法隆寺が火災になった直後です!今では名言だとはいえ、芸術にあまり興味がない人でも、自信過剰だと思ってしまいそうな一言です。

しかし、太郎は言い訳も撤回もしません。

こうした過剰とも思える強気な発言をすることで常に自分を限界まで追い込み、作品を残していきました。その他にも、胸にグッと来る名言や格言があります。

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「ほんとうはそっちに進みたいんだ。危険だから生きる意味があるんだ。」

「自分自身の生き方のスジは、誰にも渡してはならない。」

「逃げない。はればれと立ち向かう。それが僕のモットーだ。」

「危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。」

「成功しようと思うな。及第点をとろうなんて考えるな。」

「60点とったものが並んだって、ちっとも楽しくないじゃないか。思いっきりやりたいことをやればいいんだ。安全なものなんかつまらないだろ?失敗したっていい。0点でいい。その方がいいんだ。それが祭りだ。」

…どの言葉も、胸に響きますよね。

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岡本太郎出身の地、川崎には「川崎市岡本太郎美術館」があります。

太郎から川崎市に寄贈された作品1,779点の作品を所蔵・展示しています。太郎の死後3年後の1999年に開館している美術館です。

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太郎の芸術作品、著作、パフォーマンス、フィールドワーク等の軌跡を伝えるための展示環境備えており、芸術活動の分野や内容、作品の特徴や形状、時代ごとの傾向など、独自の空間によって構成されています。

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各ゾーンでは、作品を映像・グラフィックで見せる空間構成され、照明効果・映像の演出によって紹介されていますよ。ファンであれば何度でも訪れたくなる美術館です。

岡本太郎さんが川崎出身だとは知らない人も多いのではないでしょうか。このブログをきっかけに、一度作品に触れてみてください。

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