福岡出身の大スター・タモリの生涯に迫る!

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私は物心ついた時から、タモリさんの大ファンです。タモリさんは福岡県福岡市の出身。
本名は 森田 一義(もりた かずよし)で、芸名「タモリ」と併用して使用しています。

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タモリさんは1945年8月22日、終戦から一週間後に福岡市で誕生しました。

あまり知られていないエピソードですが、乳児期には「赤ちゃんコンテスト」で優勝したこともあるそうですよ!さらに、幼少期には幼稚園への入園を自ら拒否して、毎日一日中坂道に立って人間観察を行なっていたそうです。

…これもかなり驚きのエピソードですよね。

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このころから、「日本坂道学会」の副会長になるべき素質が備わっていたのでしょうね。

独特な感性は成人してからではなく、幼少期のころから持っていたものなんですね。

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タモリさんのトレードマークと言えばサングラスですが、これは小学3年生の時に電柱のワイヤにぶつかる事故で右目を失明したためと言われているんです。

小学生の頃からサングラスをかけていたかどうかは明らかになってはいませんが…

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芸能界デビュー当初の映像には眼帯姿だったそうです。

・・・

タモリさんは料理上手であることも有名ですよね。

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小学生の頃、毎日祖母が料理の支度する姿を暇つぶしに観察しているうちに、料理の作り方や出汁の取り方まで全部覚えてしまったそうです。

集中力があって器用な方なんですね。
幼少期の頃、福岡で暮らした環境が、今のタモリさんを作り上げているんだなと感じました。

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中学へ進学すると剣道と陸上競技、高校は福岡の県立高校で、剣道部と吹奏楽部、アマチュア無線クラブなどに所属しています。

これだけ様々なクラブに所属できるなんて、やっぱり器用なんですね。居合道場にも通って二段を取得したそうです。多趣味で多彩!まさしく福岡時代にタモリさんはアーティストとして完成されていたんですね。

そんなタモリさんも、1年間の浪人生活があり、この時しばしば押入れにこもって中国や韓国からのラジオ放送を長時間聴いていたそうです。

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この経験から、「6ヶ国語マージャン」などの「インチキ外国語芸」の世界へと繋がっていきます。

私が昔、この芸を映像で見た時には大笑いしながらも感動したことを覚えています。

そんな時間を経て、早稲田大学第二文学部西洋哲学専修科に入学、モダン・ジャズ研究会に入りますが楽器ではすぐにクビになってマネージャー兼司会を担当することになるんです。

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この時期に「森田」をバンドマン読みした「タモリ」がニックネームになったそうですよ。

大学2年になる頃、友人との旅行費用を肩代わりしたのが返済されず、結局学費未納のために3年で抹籍処分になっています。今の時代ではちょっと考えられないエピソードですが、タモリさんらしいですよね。

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その後は福岡に戻り、保険外交員や旅行会社、ボウリング場の支配人を経て「喫茶店の変人マスター」に転職しています。

とにかく多彩でどんな仕事でもこなすことのできるタモリさん。

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喫茶店時代にはジャズピアニスト山下洋輔さんとの出会いがあり、山下氏の仲間たちのカンパで月一で上京して…

「素人芸人」としてタモリさんは即興芸を披露していたそうです。

すると、評判を呼び、高信太郎や南伸坊、筒井康隆、唐十郎、浅井慎平、黒柳徹子、赤塚不二夫など大勢の奇才に認められたんです!

芸を披露することで、じわじわと芸能界の人脈も増えていって…

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「戦後最大の素人芸人」というキャッチフレーズで、芸能界へ売り出すための算段などが着々と練られていったそうですよ。

タモリさんらしい奇抜なキャッチフレーズ!

「素人芸人」として知られるようになったタモリさんは、1976年4月、30歳で深夜番組「空飛ぶモンティ・パイソン」で正式に芸能界デビューを果たします。
※「モンティ・パイソン」はイギリスのコメディ番組。日本での放送では、BBCでのオリジナル版の合間に、タモリさんらがトークするというもの。

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30歳でデビューと知ってびっくりです、意外にも遅咲きだったんですね。

この頃の芸は、イグアナのような体芸や反知性を打ち出した中洲産業大学教授、デタラメ言語ハナモゲラなど、他の芸人にはないキワモノ芸人として知られていました。

まだ当時は夜の番組の芸人という強いイメージがあったのですが…

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1982年に「笑っていいとも!」で”昼の顔”として起用されることになるんです。

「笑っていいとも!」と言えば、昭和・平成を代表する国民的バラエティ番組。2014年3月の放送終了まで31年半続く長寿番組となりました。

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深夜番組向けであるタモリさんの芸風を崩さない目的で、この頃に深夜バラエティ番組「タモリ倶楽部」も放送開始。こちらも30年以上放送されている大人気番組となっています。

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タモリさんは芸だけでなく人間性も魅力的です。

私はタモリさんの持っている「自然体」「適当さ」が大好きなんです。

座右の銘は「現状維持」で物事にこだわらず「くよくよ過去のことを悔やんでも取り戻せないのだから反省もしない」、「皆、大した人間じゃあないので気負わずに自然体で生きれば良い」と語っています。

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私もこんな大人になれたらいいなと思っていて、今も偉大なタモリさんの背中を追っています。

タモリさんが福岡出身ということを知らなかったという方も多いのではないでしょうか。いつか尊敬するタモリさんの原点である、福岡へ出かけてみたいなと考えています。

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